読書の秋だ!「異世界終末宣言」を読もうのコーナー④後編

書き直してみよう

 今回は自分語りの部分を全カットして少し並び替えただけなのであんまり変わらないと思います 字数は3300→2200文字に減りました

 

 

 まず、「主人公はいかなる場合においても正義である」という価値観について考えてみよう。これは、「物語の中の世界の住人が、皆主人公を道徳の見本としている」ともいえる。

 

 話を分かりやすくするために、よくある異世界もの作品の話の流れの一例を挙げてみよう。

 

 主人公は、ひょんな事故から西洋風の異世界に転生し、そこで自分に秘められた魔法の力に目覚める。そして冒険をすることになった主人公は、様々な人物に出会い、各地で問題を解決し、人々に称賛され、やがてヒロインと恋に落ちていく。物語の中で主人公の行動は根本的に非難されることはなく、例え初めは疑われても、後に称賛に変わることが殆どである。

 

 では、このような異世界もの特有の価値観は何故読者に受け入れられたのだろうか。それは、「シュ旨」でも述べたように、社会から「あれをしろ、これをしてはならない」といった倫理観をあらゆる手段で叩き込まれ、プレッシャーに感じている多感な少年少女たちにとって、異世界もの特有の「自分の行動を全て道徳的に称賛してくれる」といった新たな価値観が、既存の価値観によるストレスのはけ口として機能しているからであると考えられる。

 

 ここでもう1つ質問をしてみよう。これらの異世界もの作品を作っているのは誰だろうか? 2020年現在、これらの作品を作り出す担い手の多くは、1990年~2010年代のポップカルチャーサブカルチャーといった文化に触れ、育ってきた人々である。そのような人々によって作られた作品は、おのずとそれらの文化を(程度の違いはあれど)反映したものになり、特に駆け出し作家においては顕著に作品に自らの嗜好が投影される。登場するヒロインが皆所謂「美少女系キャラ」である、有名作品のパロディーを含んでいるといった特徴は、まさにそのことを示していると言ってもいいだろう。

 

 しかし、それは結果として「ジャンルの閉鎖化」に繋がってしまう。作品の傾向がサブカルチャー寄りなのだから、読者もサブカルチャーを好む層に固定化されるのは当然であろう。

 

 また、これらの作者が引き起こすもう1つの問題点がある。それは、「世界観の固定化」である。新たな世界観を作るためには、それに関する膨大な量の専門的なデータとにらめっこしながら、それを作品のプロットに落とし込むという作業が必要になる。この作業を彼らが嫌った結果、おのずと「剣と魔法の西洋風ファンタジー」のようなありきたりな世界観のもと、話を構築する他無くなったのである。

 

 では、このような異世界ものの作品は、今後も社会からのプレッシャーに苦しむ少年少女の心を救済する立場として存続していくべきであろうか。答えはノーである。むしろ、多少乱暴な言い方にはなるが、現状の異世界作品には1冊700円も出して買う、ましてやそれがミリオンセラーになるような価値など全くもって無いと私は考えている。

 

 何故なら、小説に限らず、あらゆる作品はそれ自身が学問的・啓蒙的価値をもち、なおかつ作者自身の自己表現の手段である必要があるからである。今まで、創作に携わる人々は、様々な手法を用いて何かを表現しようとしてきた。そして、それの積み重ねが文化である。これは現代でも変わらない。故に、あらゆる作品は、その媒体が何であれ、その作品の中に作者の何らかの意図や目的を含んでいなければならない。

 

 昨今の異世界作品ではどうだろうか。世界観や価値観が固定されているのは先述の通りだが、その内容に関してもほぼ共通であるといえる。

 

 まず、タイトルである。「最弱」「最強」、あるいはずばり「異世界」といった長く、説明的なものがいかに多いか。タイトルとは、「作者がその作品に対してどのような思いを持っているか」を読者に知らしめるものでなければならない。故に、このような他人の目に媚びへつらうものであってはならない。

 

 次に、「主人公が世界に影響をもたらす力を持っている」という点である。主人公の潜在的な能力やその場の機転を見せる描写よりも、「その強力すぎる能力をひけらかす」描写の方が多いが故に、他のキャラクターの個性が際立たないどころか、主人公そのものの個性すら失われることも多々ある。主人公の個性に関連して、「与えられた能力をあえて使わない」というよく見られる描写も、読者にとっては主人公への感情移入を阻害してしまう。主人公の個性に人間味が無い、すなわち現実の人間の価値判断からかけ離れているからである。

 

 このように、現代の異世界作品の読者は、主人公を含めたキャラクターの個性を掴むことも無く、ただただ何となく決められた流れに沿って進行していくストーリーをいつまでも読まされることになってしまう。もはやそのような状態の作品に、作者の意図や目的が介在する余地があるといえるのだろうか。

 

 以上のことから、異世界作品が文化たりうるためには、タイトルや主人公の個性、そして世界観や価値観のテンプレート化をやめ、表現の稚拙の差はあるといえ、せめて作者自身が自らの境遇や体験、そして思想を反映した独自の手法で文章を書いていく必要があると私は考える。

 

 序論でも述べた通り、異世界の存在価値とは何者にも縛られない、壮大で自由な世界観である。故に、「異世界といえば、レンガ造りの中世の街並みに、剣と魔法があって…」という固定観念を持つのは、まったくもってナンセンスなことである。

 

真面目な解説

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 前回同様、段落全体の流れを以下のように組み立てました

・導入(主人公が道徳の中心である)

・導入の具体例(その価値観が異世界もののストーリーに強く反映されている)

・仮説(異世界は少年少女のストレスのはけ口)

・もう1つの質問と仮説(ラノベサブカルに触れた人が作る)

・これらの仮説から導き出される問題点(閉鎖化と固定化)

・問題点を踏まえた筆者の意見(異世界に価値は無い)

・その意見を唱える理由(異世界がテンプレだから)

・結論、すなわち問題の解決方法(自己表現をもっと行うべきだ)

・まとめ(異世界は本来自由だ)

 

 前回より多少複雑ですが、「問い(導入)→解説(背景情報や理由)→答え(結論)」という流れは変わっていないと思います 

 

 

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  あと、「閉鎖的」みたいな単語を文脈の中で突然出されても理解が難しいので、やはり具体例を効果的に使えると誰が読んでも分かりやすい文章になると思います

 

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 文章を書く時に感情的になるのはやめましょう。「社会という巨大な組織の工作員である親・きょうだい」とか「ラノベに価値が無い」の下りでの「一部の賢明な日本人なら気付かなければならない」とか、文章から怒りが滲み出ていて読む気が無くなってしまいます 何かあったの?

 

要約してみよう

 何故異世界作品で主人公は絶対に正義なのか。それは、社会に抑圧された少年少女の心を救済するためなのかもしれない。しかし、作者たちの怠惰により、その読者層は固定され、世界観・倫理観はテンプレート化されてしまった。創作の価値が自己表現にあるならば、テンプレート化されたそれは全くもって無価値であり、作者が自らの手法で自由な表現をすることが異世界文化存続のためには必要である。

 

 こんな感じですかね 先程の段落全体の流れを踏まえてまとめることができたと思います 何と原文1/18にまで減ってますね

 

次回予告

 3本目の「戦う手段としての剣がある、という自足」をやっていきます 全文が13000文字で今大体5000文字弱なんでまだ今までの倍以上あります たすけて かゆ うま